廣川と汐吹昆布
角切り汐吹昆布
大阪名物として名高い“汐吹昆布”ですが、
その発明は太平洋戦争のさなかに遡ります。
当時の社長であった廣川雅市は戦時体制下の統制経済であったため、
塩昆布を作る為の昆布の供給もままならない状態で、配給でしか手に入らない昆布の
供給を受けるのにも役所を説得する必要がありました。
細切り汐吹昆布
確かに煮るのに水を使わないのが大阪塩昆布の最大の特徴だが、
見た目は確かに同じ。そこで佃煮と塩昆布との違いを目に見える形で表そうと、
塩昆布を乾燥しようと試案。色々な方法にてあぶったが、いたずらに焦がすばかり。
「紙を下に敷いたら、焦げなくて済むのでは」という雅市の嫁である花子のアドバイスにより、
苦心の末に出来上がったものが従来の塩昆布を乾燥させ、‘汐’を吹かせた“汐吹昆布”だったのです。
汐吹昆布の製法を完成させ、その製法の特許を業界に広く公開し、
大阪名物とまで言われるようになったのも、前述のような苦労の結果なのです。